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雪香楼箚記

夏____夕暮は






                                      藤原定家
       夕暮はいづれの雲のなごりにて花橘に風の吹くらん










 夕暮には、どこの雲を吹きはらった風のなごりであろうか、この庭にまで来て橘の花に風が吹いていることだ。

 ─と読んで、間違いではない。けれども、すこし新古今集を読みなれてきた人なら、なんだか違和感を抱くはずです。「定家の歌がこんなに単純なはずがない」と。ついでに、「どうも『いづれの雲のなごり』というあたりが気になる」という嗅覚を働かせることができれば、大したものです。

 本歌があります。源氏物語の夕顔の巻、はかなく死んでしまった夕顔の君の火葬の煙を見て、光源氏が詠んだ(ということになっている、実際は紫式部の手になる)歌。

                            紫 式 部
  見し人の煙を雲とながむれば夕べの空もむつまじきかな

(一たびは枕をともにした人を焼いた煙であれば、それが雲となって漂う夕暮の空さえいとしい)。あまり言葉の上での共通点はありませんが、この歌の趣向、つまり、恋しい人の火葬の煙、というイメージを下敷きにして、定家の歌の上の句があるのはまず間違いはないでしょう。「どこの雲」であると同時に、これは「だれの火葬の煙によってできた雲」なのです。それを吹きはらった風が、庭の花橘にまで吹きよせてくる。風は無常の風でしょうか。花の散りどきは、あるいは近いのかも知れません。

 無常を詠んで、あまりに艶麗な歌です。


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